1980年代から1990年代にかけて、秋葉原は大きな転換期を迎えた。かつては電子部品の専門街だったこの地域が、徐々にパーソナルコンピュータ(パソコン)文化の中心地としての色を強めていく。
この時代の秋葉原は、技術愛好家たちの熱量と、急速に発展するコンピュータ技術が交差する、独特の空間だった。
1980年代:8ビットパソコンの時代
1980年代初頭、日本ではNECのPC-8001やPC-9801、シャープのX1、富士通のFM-7など、いわゆる8ビット・16ビットパソコンが登場し、個人向けパソコン市場が拡大していった。
この時期、秋葉原ではパソコンの本体だけでなく、周辺機器、フロッピーディスク、マニュアル、さらにはBASICで書かれた自作ソフトまでが扱われるようになり、「自分で作る・改造する」文化が根づいていく。
部品の街としての側面を持ちながらも、秋葉原は徐々にパソコンユーザーの実験場として機能するようになった。マイコンショップやホビーPCショップが増え、学校帰りの学生や若い技術者たちが情報を交換する場にもなっていた。
1990年代前半:DOS/Vの台頭と価格競争
1990年代に入ると、NECによるPC-98シリーズの独占体制に対し、IBMが提唱したDOS/Vパソコン(日本語対応の汎用PC)が登場。これにより、部品を組み合わせて自作パソコンを作る文化が本格的に広まる。
秋葉原のショップでは、CPU、メモリ、マザーボード、ケースなどを個別に購入し、「BTO(Build to Order)」や完全自作のPCを組み立てる層が増加。店員とユーザーが技術的な会話を交わす様子は、秋葉原の特徴的な光景となった。
この頃には中古パーツ市場も活性化し、パーツ単位でのアップグレードや買い替えが当たり前となっていく。
1995年:Windows 95 深夜販売と「秋葉原の熱狂」
1995年8月24日、Microsoftが日本で「Windows 95」を発売。この新しいOSは、GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を本格的に導入し、パソコンを技術者だけでなく一般ユーザーにとっても使いやすいツールへと変貌させた。
秋葉原では、発売前夜からショップに長蛇の列ができ、0時の販売解禁とともに盛大なカウントダウンイベントが開催された。この現象は全国ニュースでも報道され、秋葉原が「IT時代の象徴的な場所」として注目を集めるきっかけとなった。
この出来事は、パソコンが一部のマニアや専門職の道具から、広く一般家庭に普及する転換点となった象徴的な瞬間でもある。
まとめ
1980年代から1990年代にかけての秋葉原は、単なる電気街から、情報技術のフロントラインへと進化していった。技術者、学生、趣味人たちが交差するこの時代の秋葉原は、今では見られなくなったDIY精神や、情報に対する飢えが満ちた空間だった。
Windows 95の深夜販売という一夜の熱狂は、そうした地道な文化の積み重ねの上に成り立っていた。今日の秋葉原を理解する上でも、この時代の動きは欠かすことができない。
コメント